工芸のウチ.ソト

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連続トーク「工芸と美術」

三谷龍二 + 山本忠臣 + 小林和人

○ 2000年という時代

三谷:
わたしは1981年から工房を構えて木工の仕事をはじめましたが、2000年に入ってから工芸というもののお客さんの質というのでしょうか、変わっていったと記憶しています。その変わり目のところにちょうど三重の「ギャラリーやまほん」と、東京の「Roundabout」がオープンしているのですが、その頃、いったいどんな時代だったのでしょう。

山本:
僕が「ギャラリーやまほん」をはじめたのは、ちょうど2000年です。当時、工芸作家は百貨店の美術館や画廊で作品を発表することがほとんどで、まちなかにある工芸を扱う店は、ギャラリーというより器屋というイメージのところが多かったように思います。産地に目を向ければ、工芸のジャンルと、美術のジャンルがあって、美術のほうが工芸よりも崇高という風潮がありました。つくり手たちも、優劣をすごく感じていたように思うんですよね。
でも、工芸のなかにもファインアートと同じような、感覚に響く部分を感じていました。僕らの世代はファインアートのギャラリーというものに対して、崇高でかっこいいというイメージを持っていましたから、ミックスさせて展示できる空間をつくろうと思ったんです。ファインアートのギャラリーのような什器のない広い空間で工芸をみせることによって、工芸と美術に優劣があるわけではないことがみせられるのではと考えました。

三谷:
今からみても、ギャラリーやまほんの空間というのは、工芸のギャラリーとしては違った感じの、画角の大きい場所だと思う。ああいう空間で工芸、使うものをみせるというのはあまりなかったですよね。

小林:
浪人時代にセゾン美術館の柳宗理展に行き、デザインですとか形について考えるようになったのが入り口で、大学を卒業した1999年、仲間と1週間限定の店としてRoundaboutをやりました。その年の8月に常設のお店としてスタートし、ひとりでやるようになったのが翌年のことです。
なぜ、環状交差点を意味する「Roundabout」という店名にしたかというと、交差点みたいに国産車も走れば外車も、新車も、旧車も走っていて、それだけじゃなくてトラックの人がいてタクシーもいて、とてもいろんなものが行き交うニュートラルな場所、いろんな背景を持ったものや人が行き交う場所にしたかったんです。なので、工業製品のほかもミックスして、今使われているものだけじゃなくて、海外のものとか、全部並列に扱おうと思っていました。美術的なものを自分の場所でご紹介しようという発想はそのときはなかったんです。それが、工業製品が割合としては少しずつ減っていき、徐々に手仕事のきめの細かさですとか、逆にゆらぎがある1点1点のものが増えていきました。そういったものを分けて再編集したいと思ったときに物件との出会いもあって、2009年に「OUTBOUND」をつくりました。

○ 変換される機能と作用

三谷:
僕は基本的には実用品をつくってきていますけど、もう20年くらい前から、そうでないものを1割くらいつくっています。器をつくっていても、器じゃないものをつくりたい、そういう衝動のようなものがあるんですね。僕にとってはこの9:1くらいのバランスがいい。自分のなかでどこか安心ができるというか。実用品は伝えるときにも伝えやすいのですが、立体作品のようなものは、どういうふうに伝わるのか難しい感じがあって。その不安感がどこかでぬぐいきれなくて、バランスをとっているんだと思います。実用品とそうでないものについて、みなさんはどう考えますか。

小林:
自分のなかでは実用品もそうでないものも同じように大事に思っているので、完全に同じものか、あるいはグラデーションのように考えています。実用品として使えているものでも、使い手の見方によっては用途を前提としていないようなオブジェ的な鑑賞物になるかもしれないですし、逆に新たな機能が持ち上がってくるかもしれない。実際、自分の店で経験した、ふたつのエピソードをご紹介します。
まずひとつめは、2013年から毎年、OUTBOUNDで、柿渋作家の冨沢恭子さん、金属造形の渡辺遼さん、土器作家の熊谷幸治さんによる「用の図と地」という3人展をやっています。ものの役割、すなわち用というのは、1枚のキャンバスであったり、額であったり、図と地の関係というのか、機能と機能以外のものが反転するのではないかという考えに基づいた展示です。そこで、土器作家の熊谷さんがつくられた器を、あるお客さんが買われました。熊谷さんの器は、水止めのために焼成後に蜜蝋を染み込ませて漏れないようにしていますが、器によってはあえて水止めをしていないものもあって、そのお客さんが選んだのが水止めをしていないものだったんです。熊谷さんがお客さんにそう伝えたら、その方、インド出身の方で、料理を盛るのではなく、そばに置いて土に触れるためにほしいんだと。土のテクスチャや、そういったそのものが発する働きがほしくて手にとってくれたんです。そのとき、「水は漏れるにしても固形物は入れられる器」という機能を持った道具としてつくられたものが、愛でる対象になったというのが印象的でした。
もう1点、逆のエピソードがありまして、渡辺遼さんは薄い鉄の板を溶接して貼り合わせて、なかに小石などを入れ、振ると音が鳴るというものをつくっています。それは音を鳴らそうと思ってそうしているわけでは恐らくないと思うんです。自分が想像するには、振るとカンカン鳴ることで、なかが中空であるということを認識させるのかなと。その作品を、音楽をやっている友人が買ってくれて、彼曰く今度それをライブで楽器として使ってみると言うのです。彼は、音が鳴るという機能を立ち上がらせて、それを楽器として使ってくれたのです。
そのふたつのエピソードは、具体的な「機能」を前提としたものと、目には見えなくても確かに存在する抽象的な「作用」を前提としたものと、その関係性が反転した瞬間だったのかなと。そういうこともあり、結局、実用品かどうかは、使い手や使い方でいかようにも変換されるものではないかと思っています。

三谷:
山本さんも今回の企画展に寄せて、同じようなことを書いていましたよね。器作家が器というものから離れても、ちゃんとものとして成立するという。

山本:
そうですね。鑑賞の対象としての器、作用としての器というものに惹かれて、ギャラリーでもそうした作品も積極的に扱ってきました。全国から買い付けにくるような産地の陶器まつりなどでも、盛りつけて使いやすい、見栄えがいいというように実用的なことに加えて、多くの人が作用的な部分も求めはじめていると感じています。それは何か欠けはじめだしている、器においても実用以上に精神性を求め出しているのではないかという気がします。

小林:
利便性や合理性が前に出すぎているからということがあるんじゃないかと思います。便利なのはいいし助かっていますが、それが前に出すぎているからこそ、便利とは別の情緒的な部分や、想像力を喚起させる部分が、山本さんの言うように欠けてきてしまっているというか。
今、視覚偏重の時代だと思うのですが、だからこそ視覚だけではなくて、触覚だったり、嗅覚だったり、味覚だったり、そういう実感のようなものを共有したくなるということが背景にあるように思います。自分の場合、とくにあるかもしれないです。

三谷:
その作用的なものは、いわゆるアートといわれるものと違うものだと感じているの?

小林:
そうですね、アートはコンセプトありきのイメージがあります。OUTBOUNDで紹介させていただいているものは、用途を前提としていない造形物です。多分、素材がかたわらにあって、それを触っているうちになにかができる。まさに熊谷さんの土の塊も、そういう感覚かもしれません。素材と遊んでというのが適切な表現かわからないですが、こういうものを狙ってつくりましたというコンセプトありきのものというよりは、現象を巴投げするみたいな(笑)。作用的なものは、そうやって発生する現象をうまくエスコートする、そういう感覚でつくられているものではないかと思います。

山本:
今回のウチソト展に出品したなかに、焼物の作家の安永正臣さんのオブジェがあります。釉薬を粘性化させ、型に入れて焼いたものです。当然、釉薬なのでドロドロに溶けてしまうので、ウチとソトに型をつくって、流れたりしたものをそのまま作品にしたものです。現象をそのままに受けとめて生まれたものということですよね。

小林:
「つくる」というつくり手の意図だけが介在し、あとは焼成されて、偶然的というか計算外のテクスチャが発生するという感じですね。

○ すべて、生活のなかにある

三谷:
山本さんのところは工芸のギャラリーだけれど、写真やアートも扱っていくとおっしゃっていましたよね。それは工芸の内側に美術的なものを入れていくということですか?

山本:
たとえば写真でいうと、自分が好きな表現は、半分が写真家の主張で、半分が鑑賞者に委ねられた余白のあるものです。写真家の辻徹さんの作品は、お客さんに委ねる余白の部分があって、観る人の心を映すかのようです。その余白は、作為を感じさせない器の魅力に通じるもので、そこが写真の工芸的な面だと思っています。なので、工芸の内側に写真やアートを入れるというよりは、それぞれの間に明確な線引きがない状態にあります。

小林:
僕も、作用的なものも道具と地続きという認識があるので、展示するときは編集上、分けることはあるかもしれませんが、分けて考えるというより、道具もそうでないものも一緒という意識で伝えていきたいなと思っています。作用的なものを「アートを暮らしに取り込みましょう」というのではなく、暮らしを彩るものであることにかわりはないから並列にみてくださいという気持ちです。

三谷:
昔から器があったり、軸があったり、花があったりというように、工芸的なものも、美術的なものも、ひとつの部屋のなかに一緒にありましたよね。それを現代のものに置き換えていけば、同じことかもしれませんね。時代が変わったから空間や置かれるものなど見え方は変わっても、部屋という空間があって、全体のしつらいがあるということは、基本的には変わっていかないというか。すべて、生活のなかにあったということですね。それは日本人にとって普通に理解できることだと思うんですよね。生活空間というのと美術館的な空間というのとの違いは、大きいかもしれませんね。

○ 生活工芸が育んだもの

三谷:
昔は権威みたいなものがあって、啓蒙という時代がありました。80年代くらいからだんだんそういうものから解放されて、西洋コンプレックスはなくなったし、工芸が美術より下位であるいう意識もなくなってきたし、いろいろ自由になってきた感じがするんです。その反面、自由だからこそ、全部自分でものを考えなければいけないし、全部自分でやらなければいけない。自由だからこそ、不安定になってきているところがあると思うんです。そういう不安定なところで、地滑り的に、個人がどこにいっていいのかわからなくなっている感じがなんとなくある。
うまく言えないのだけれど、自分でしかできないひとつの物語を自分で紡いでいかなければ、どこにいていいのかわからない、ここにいられないという不安定な感じがあるような気がしています。自分が自分でいるために、つなぎとめていくなにかが必要なのかなと思うんです。
そのとき、手でなにかをつくるということが、僕はどこかで求められているのかなと思っています。生活工芸というのも、生活という一番身近な、自分にとって一番具体的なところであるものです。そういったものとつながっていることで、不安定ななかでも、なんとかバランスを取っているという印象があります。

山本:
生活工芸という言葉が使われるようになったのが2010年前後ですが、それ以前のインテリアなどは、すごく外に向いていたものだと思います。いわゆるおしゃれな、かっこいい暮らしというようなものですね。一方の生活工芸の時代は、つくり手が自分の生活を見つめてものをつくるという時代。いわゆる美術館に飾ってもらうことを目的としているのではなくて、自分に向き合い、自分の生活環境に必要な道具やオブジェを作品にしていくというものです。それを、伝えるギャラリーも、自分の生活にあわせて使う。さらに生活者も、自分の生活に向き合い、誰かにかっこいいものをみせたいというよりは、自分がそのオブジェをみて癒されたいというようになっていったのだと思います。
2011年のご飯茶碗千碗展の案内状に写っているご飯茶碗は、植松永次さんという作家の茶碗で、何回も金継ぎしながら僕が使ってきたものです。使っているときではなく、ぼおっと見ているときにどこか温かく、救われる感覚があって、毎日のように「ああ、いいな」と眺めてきました。子どもとか、家族にはわかならないみたいでしたが、僕のなかでそうしみじみ思っていました。そういうしみじみとした感覚というのは、ものに向き合うからこそ得られるものだと思うのです。
それから、自然釉やビードロ釉の派手な壺などには全然興味がなかったんですけれど、展覧会をやってみて、その力強い作品に勇気づけられたことがあります。そういう作用的な作品につながってきたのも、生活工芸の時代がその前段階にあり、自分の生活に向き合う時間があったがゆえだと考えています。

会場より:
生活工芸について本などを読んだりする機会もありましたが、何が変わってきているのか、何に対応すればいいのかわからなかったので、この連続トークに来てみようと思いました。
三谷さんがつくり手のなかにある不安というお話をされましたが、不安という言葉が今日のお話のなかでキーワードとして残っています。使う道具が自前ではない、素材もある場所ではとれない、そういう状況が変化しているということを敏感に感じて迷いながらつくっている人がたくさんいらっしゃる。使う側も、これだけものがあふれているなかで、まだ新しいものがほしいのかという。いいものは、美術館にいけばみられるのに、まだ自分のなかになにかがほしいと思う。それは、つくっている人がつくりたいという欲と、表現したいという思いにつながりたくて。でもそれがすごく淡々と、堂々とつくられているというよりは、すごい大きな不安を抱えながらやっている。そういう部分に共感したいという感覚で引き寄せられているのかなと思いました。
本当は、今だけじゃなくて過去にも不安というものはあって、そういうことを三谷さんたちがどういうふうに意識をされているのかなということもお聞きしたかったです。でも、すごくいいキーワードで、なぜ、自分にとって必要なのか、すごくよくわかりました。


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「工芸と美術」 三谷龍二 + 山本忠臣 + 小林和人

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第3回〜 随時更新いたします。

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